最近、自分で料理をすることが増えている。今は、私の楽しみでもある。
今日は、先日ためしに作って美味しかったレシピを紹介する。
~用意するもの~
ナス3本 サラダ用カニ風味かまぼこ100グラム
鷹の爪 味噌 みりん サラダ油
~作り方~
●ナスを拍子切りし、水にさらし、水気をしっかり取る。
●サラダ用カニ風味かまぼこをほぐす。
●フライパンにサラダ油を大さじ1.5入れ、鷹の爪とナスを炒める。
●ナスがしんなりしてきたらほぐしたカニ風味かまぼこを入れ、一緒に炒める。
●みりん、味噌を加えさらに炒めて完成。
酒の肴にお試しあれ!!
2011年4月27日水曜日
2010年5月24日月曜日
『ぞくぞく夢物語』
前回の続きである。
朝島山、黒森山を越えて三十分ばかり揺られ、鬼ヶ瀬山の麓に着いた。
きれいな、良く手入れされた牧場である。確か昔は都南牧場といい、当時の知事が畜産500億計画をたて、短角牛を飼い、そして大赤字を出して退散した所のはずである。
「どうです?これが私たちの首府です。208ヘクタール、地代は年間48万円。牧場時の金額です。この土地だけは岩手県から借りて、共同生活をしているんです。総面積30平方キロ、人口630人、首府だけで100人。 盛岡の中のバチカン市国です」
なるほど、けっこう人が居る。見わたせば畑も田圃(たんぼ)も、動物公園かと思えば牛舎も、平泉の毛越寺大泉ヶ池様(もうおつじおおいずみがいけよう)のものが二つ、水を満々と湛(たた)えている。
「金色の鯉と高級金魚、もう一方では山魚(やまめ)、岩魚(いわな)を養殖し、水は虫壁川の清水と金山万寿坑跡からの湧水をブレンドさせ、釣も出来るし、全世界相手に貿易するのです」と楽しそうに言う。
老人は私らを次々に案内する。
「昔は大ヶ生小学校、今は大ヶ生国立尋常学校。昼は保育園から小・中・高一貫教育。優秀な子供らがぞくぞく育っているんですよ。ユウセイ君のような若者がね。
老健施設、クリニック、一生何の心配もありません。夜は迎賓館、平らに言えばたまり場はダンスホール、校長室や小使室はカラオケスナック、教室はレストラン。ホステスは化粧した元経験者。お客様は国外から耕耘機に乗って来るんです。
バスは一日二本しか通いませんから、夕方入国したら翌朝まで帰れません。
それと芸術家のためのアトリエ、これは岩手大学の元特美生に大評判です。なにしろ廃校だったもので少々金をかけました。その代り、あれをご覧下さい。バンガローハウス30棟。国民の宿舎です。
なにしろ旧都南の飯岡から全く使用していない、というので無料で譲り受けました。注文に応じて縄文萱葺(かやぶ)き小屋からダブルベットまで。けっこう山村農業体験ツーリストが多いんです。
もう建物と従業員がたりない位ですよ。なあに、建築なんて簡単なもんです。
大工から各種腕のいい技術者上りが住民の中には沢山居りますからね。元教職者も、ケアマネージャーも。資格は必要ないのですが、大国にODAを申請しなきゃならないので。
基幹産業はもちろん農畜産業です。すべてに伍長(ごちょう)制の当番を決めております。交代で働いて、全員で楽しみます。
例えば、池の周囲には放し飼いの烏骨鶏(うこっけい)と比内鶏(ひないどり)が居るでしょう、池の周囲に糞(ふん)をさせるんです。コロコロ転がって魚が食べる。
鶏の外側には紫波黒豚です。その糞は鶏の大好物です。豚を管理するのは、盲導犬用のラブラドールと警察犬シェパード。豚って案外きれい好きなんですね。周囲に桐の木を植えたら体を幹にこすり付けて洗うんですよ。おかげでまっすぐないい桐材がとれます。
その外には県が牧場を止める時引きとった短角牛です。原産地はどこでしょうか、カモンと言うと命令通り動くんです。ポニーも沢山いますよ。すべて大ヶ生の先住民の智恵と経験ですね。
あとは有機米と無農薬野菜。
それから忘れてはいけません、我々のご先祖様が『北極に近い人々が収穫期一カ月なのにどんな恐荒でも餓死しなかったのはジャガタラ薯(いも)とソバの作付だ』といって『二物考』というテキストまで残してくれましたから。
イモとバター、黒豚の炒めもの、古酒を飲んだ後の、薮川(やぶかわ)村直伝の日本ソバ。
古酒?説明しませんでした?大ヶ生観光協会の耕耘機ハイヤーで飲んだお酒、あれは大ヶ生金山の坑道跡で四年以上かけて熟成させた純米酒ですよ。評判が良くて沖縄の焼酎メーカーなどは何千本と入れてますよ。一本600円の熟成料は頂戴してますが。
この首府の隣地に2.5ヘクタールの牧草地兼ゴルフ場があるでしょう、四メートルの遮光器土偶の前で、春は平泉の延年の舞い、早池峰神楽など。
夏は花火と若者のロックコンサート。どちらも有料で国民全員が前売券を売ります。
秋は縄文祭り。ぐるりと屋台を出し産直です。目玉は直径二メートルの2台の鍋で作る縄文鍋です。鍋は昔都南村で作ったもので私たちしか使いませんからもらって来ました。
何を笑っているんですか、絵空事と思っているんでしょ。。
内緒ですが原資は1億円があるんです。
20年前「ふるさと創生基金」1億円プランがあったでしょう、あれ、合併前の村では実際は3億9520万7000円になったんです。使ったのは当時の都南村で2億弱、町内の児童館の土地などを買ったようですが、一億円使い切れなくて合併した盛岡市に預けたんです。その時一札を入れたんです。もし合併がうまく行かなかったら返す、とね。
もうひとつ、裏口の元山坑道から出たんですよ。金が。
改めて矢幅駅までの鉄索(てっさく)を復活させました。これでやっと中世に『平泉文書』に書き込まれてしまった中尊寺の『大ヶ生からまだ金(きん)が来ない』の文句を改めることが出来ます。
どうですか、病身の奥様と一緒にこの国籍を取りませんか。
宗派を問わず樹木葬もやってます。資格はいりません。ペルシャかシャム猫を飼って葉っぱを集めてくれればいいんですよ。特にあなた方みたいな方は大歓迎です」
私への招待状は二十年後、定年になる人だけに出されたものだった。
いつしか、私は「一緒にこのような国をぞくぞくと創りませんか」と呼び掛けていた。
= 終わり=
朝島山、黒森山を越えて三十分ばかり揺られ、鬼ヶ瀬山の麓に着いた。
きれいな、良く手入れされた牧場である。確か昔は都南牧場といい、当時の知事が畜産500億計画をたて、短角牛を飼い、そして大赤字を出して退散した所のはずである。
「どうです?これが私たちの首府です。208ヘクタール、地代は年間48万円。牧場時の金額です。この土地だけは岩手県から借りて、共同生活をしているんです。総面積30平方キロ、人口630人、首府だけで100人。 盛岡の中のバチカン市国です」
なるほど、けっこう人が居る。見わたせば畑も田圃(たんぼ)も、動物公園かと思えば牛舎も、平泉の毛越寺大泉ヶ池様(もうおつじおおいずみがいけよう)のものが二つ、水を満々と湛(たた)えている。
「金色の鯉と高級金魚、もう一方では山魚(やまめ)、岩魚(いわな)を養殖し、水は虫壁川の清水と金山万寿坑跡からの湧水をブレンドさせ、釣も出来るし、全世界相手に貿易するのです」と楽しそうに言う。
老人は私らを次々に案内する。
「昔は大ヶ生小学校、今は大ヶ生国立尋常学校。昼は保育園から小・中・高一貫教育。優秀な子供らがぞくぞく育っているんですよ。ユウセイ君のような若者がね。
老健施設、クリニック、一生何の心配もありません。夜は迎賓館、平らに言えばたまり場はダンスホール、校長室や小使室はカラオケスナック、教室はレストラン。ホステスは化粧した元経験者。お客様は国外から耕耘機に乗って来るんです。
バスは一日二本しか通いませんから、夕方入国したら翌朝まで帰れません。
それと芸術家のためのアトリエ、これは岩手大学の元特美生に大評判です。なにしろ廃校だったもので少々金をかけました。その代り、あれをご覧下さい。バンガローハウス30棟。国民の宿舎です。
なにしろ旧都南の飯岡から全く使用していない、というので無料で譲り受けました。注文に応じて縄文萱葺(かやぶ)き小屋からダブルベットまで。けっこう山村農業体験ツーリストが多いんです。
もう建物と従業員がたりない位ですよ。なあに、建築なんて簡単なもんです。
大工から各種腕のいい技術者上りが住民の中には沢山居りますからね。元教職者も、ケアマネージャーも。資格は必要ないのですが、大国にODAを申請しなきゃならないので。
基幹産業はもちろん農畜産業です。すべてに伍長(ごちょう)制の当番を決めております。交代で働いて、全員で楽しみます。
例えば、池の周囲には放し飼いの烏骨鶏(うこっけい)と比内鶏(ひないどり)が居るでしょう、池の周囲に糞(ふん)をさせるんです。コロコロ転がって魚が食べる。
鶏の外側には紫波黒豚です。その糞は鶏の大好物です。豚を管理するのは、盲導犬用のラブラドールと警察犬シェパード。豚って案外きれい好きなんですね。周囲に桐の木を植えたら体を幹にこすり付けて洗うんですよ。おかげでまっすぐないい桐材がとれます。
その外には県が牧場を止める時引きとった短角牛です。原産地はどこでしょうか、カモンと言うと命令通り動くんです。ポニーも沢山いますよ。すべて大ヶ生の先住民の智恵と経験ですね。
あとは有機米と無農薬野菜。
それから忘れてはいけません、我々のご先祖様が『北極に近い人々が収穫期一カ月なのにどんな恐荒でも餓死しなかったのはジャガタラ薯(いも)とソバの作付だ』といって『二物考』というテキストまで残してくれましたから。
イモとバター、黒豚の炒めもの、古酒を飲んだ後の、薮川(やぶかわ)村直伝の日本ソバ。
古酒?説明しませんでした?大ヶ生観光協会の耕耘機ハイヤーで飲んだお酒、あれは大ヶ生金山の坑道跡で四年以上かけて熟成させた純米酒ですよ。評判が良くて沖縄の焼酎メーカーなどは何千本と入れてますよ。一本600円の熟成料は頂戴してますが。
この首府の隣地に2.5ヘクタールの牧草地兼ゴルフ場があるでしょう、四メートルの遮光器土偶の前で、春は平泉の延年の舞い、早池峰神楽など。
夏は花火と若者のロックコンサート。どちらも有料で国民全員が前売券を売ります。
秋は縄文祭り。ぐるりと屋台を出し産直です。目玉は直径二メートルの2台の鍋で作る縄文鍋です。鍋は昔都南村で作ったもので私たちしか使いませんからもらって来ました。
何を笑っているんですか、絵空事と思っているんでしょ。。
内緒ですが原資は1億円があるんです。
20年前「ふるさと創生基金」1億円プランがあったでしょう、あれ、合併前の村では実際は3億9520万7000円になったんです。使ったのは当時の都南村で2億弱、町内の児童館の土地などを買ったようですが、一億円使い切れなくて合併した盛岡市に預けたんです。その時一札を入れたんです。もし合併がうまく行かなかったら返す、とね。
もうひとつ、裏口の元山坑道から出たんですよ。金が。
改めて矢幅駅までの鉄索(てっさく)を復活させました。これでやっと中世に『平泉文書』に書き込まれてしまった中尊寺の『大ヶ生からまだ金(きん)が来ない』の文句を改めることが出来ます。
どうですか、病身の奥様と一緒にこの国籍を取りませんか。
宗派を問わず樹木葬もやってます。資格はいりません。ペルシャかシャム猫を飼って葉っぱを集めてくれればいいんですよ。特にあなた方みたいな方は大歓迎です」
私への招待状は二十年後、定年になる人だけに出されたものだった。
いつしか、私は「一緒にこのような国をぞくぞくと創りませんか」と呼び掛けていた。
= 終わり=
2010年4月9日金曜日
『ぞくぞく夢物語』
1991年10月27日に私は或る所で招待状を直接もらったことを覚えている。和紙に毛筆で、丁寧に書かれていた。差出人の住所は、今は無い。岩手県の村おこし「大ヶ生金山の里縄文祭り」会場で、打ち上げの酒盛を終え、酔っ払って、「帰りのマイクロが出るよ」と起された時に誰かがポケットに入れたものだった。
——(前略)終日居られた貴殿には察していただいていると存じますが、来年にこの村は無くなります。しかし、2010年10月晦日、私たち大ヶ生集落は盛岡市から独立して国を作ります。その建国記念日のこの場所で行われる式典に貴殿を招待いたします——
「独立」と書いてあったが、これも地域おこしの決り文句だろう、と思いつつ、ひと昔前の美酒を思い出し、いつも気になっていた。零細企業サラリーマンを終え、今年定年になった無職の年金暮らし、子供は何処かに旅立ち、身体の弱い老妻との二人暮らしの身である。自宅はない。暇はある。私の居住する盛岡市から約二十キロ。地理も分っているが、以後20年余り、用事もなく一度も足をむけたことはなかった。
当日、自家用車で向った。乙部地域を過ぎて大ヶ生に向かう道に入った。
お祭り会場よろしく旗、いや筵旗(むしろばた)が建ち、奥州市の黒石寺で見る蘇民祭のゴザで囲った小屋があり、その前には、芝居じみて藁で作った衣裳を着た受付け、いや門番らしき数人が居り、車を降りろ、という仕草をする。筵旗には小さい○印のみが書かれている。お祭りらしき雰囲気は無いが咎(とがめ)ている気配もない。不信な思いで私は車を降りた。
促されて小屋に入ると、驚いた。仏像が二体置かれている。これは?と思っていると、「左が脱衣婆(だつえば)、右が懸衣翁(けんねおう)。今度は服を脱いで下さい。持っている携帯も財布も家と車の鍵も、名刺、今はお持ちじゃないでしょうが、過去のものを後生大事に持っている人が居るんですよ、みんな出して、代りにこれを着て」と天秤で脱衣籠を量っていた老人が門番と同じ衣装を出す。これも一興(いっきょう)か、私は指示に従った。
「合格。これであなたは入国することができます」と老人が奥から現れていう。二十年前に会い、ポケットに招待状をねじ込んだ昔の中年男、今は老人だった。
「これであなたは昔の国籍と身分、お金、服、家から解放されたんです。中には痩せていても量はかりの目盛がちぎれる人が居るもんでね。お手数をおかけしました。出国する時には全部お返ししますよ」既に運を天にまかせている心境だった。耕耘機(こううんき)の荷台に乗せられた。
60を過ぎた先客の男女が居た。もう酒を飲んでいる。こうなったらやらぬ手は無い。
——(前略)終日居られた貴殿には察していただいていると存じますが、来年にこの村は無くなります。しかし、2010年10月晦日、私たち大ヶ生集落は盛岡市から独立して国を作ります。その建国記念日のこの場所で行われる式典に貴殿を招待いたします——
「独立」と書いてあったが、これも地域おこしの決り文句だろう、と思いつつ、ひと昔前の美酒を思い出し、いつも気になっていた。零細企業サラリーマンを終え、今年定年になった無職の年金暮らし、子供は何処かに旅立ち、身体の弱い老妻との二人暮らしの身である。自宅はない。暇はある。私の居住する盛岡市から約二十キロ。地理も分っているが、以後20年余り、用事もなく一度も足をむけたことはなかった。
当日、自家用車で向った。乙部地域を過ぎて大ヶ生に向かう道に入った。
お祭り会場よろしく旗、いや筵旗(むしろばた)が建ち、奥州市の黒石寺で見る蘇民祭のゴザで囲った小屋があり、その前には、芝居じみて藁で作った衣裳を着た受付け、いや門番らしき数人が居り、車を降りろ、という仕草をする。筵旗には小さい○印のみが書かれている。お祭りらしき雰囲気は無いが咎(とがめ)ている気配もない。不信な思いで私は車を降りた。
促されて小屋に入ると、驚いた。仏像が二体置かれている。これは?と思っていると、「左が脱衣婆(だつえば)、右が懸衣翁(けんねおう)。今度は服を脱いで下さい。持っている携帯も財布も家と車の鍵も、名刺、今はお持ちじゃないでしょうが、過去のものを後生大事に持っている人が居るんですよ、みんな出して、代りにこれを着て」と天秤で脱衣籠を量っていた老人が門番と同じ衣装を出す。これも一興(いっきょう)か、私は指示に従った。
「合格。これであなたは入国することができます」と老人が奥から現れていう。二十年前に会い、ポケットに招待状をねじ込んだ昔の中年男、今は老人だった。
「これであなたは昔の国籍と身分、お金、服、家から解放されたんです。中には痩せていても量はかりの目盛がちぎれる人が居るもんでね。お手数をおかけしました。出国する時には全部お返ししますよ」既に運を天にまかせている心境だった。耕耘機(こううんき)の荷台に乗せられた。
60を過ぎた先客の男女が居た。もう酒を飲んでいる。こうなったらやらぬ手は無い。
=つづく=
2010年4月1日木曜日
―人生、久しぶりで憂き目を見たこと―
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